音楽学から世界をウォッチするブログ

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啓蒙思想:主体(主観)と客体(客観)

啓蒙思想:主体(主観)と客体(客観)について授業で考えたのでもっと考えてみる。

 

用いたテクストは

ルソー『言語起源論』第20章

ルソー『社会契約論』第一編、第1〜8章

デカルト方法序説』第4部、第5部

テオドール・アドルノ『主観と客観について』

 

 

 

ルソーは「音楽そして楽曲の根源にあるのは旋律である」と主張し、J. Ph. ラモーが「旋律は和声から生まれる」と主張して、双方は対立した。しかしこの18世紀の、旋律と和声の優位性をめぐるこの問題は、音楽の根源にあるのが「旋律と和声」の相互の関係にあると考えることで、あっさりと解決してしまう。さらにこの解決が、和声的区分(カデンツ)と旋律の関係を論じる「フレーズ分析」を誕生させた。

今回の課題テクストにおける共通の特徴は、一見、相反すると思われる二項が並べられる中で、相互の関係性から生じる現象や、はたまた二項自体が補完関係になっているという気づきが述べられることであった。

ルターの宗教改革に端を発する宗教戦争が、キリスト教を決定的に分断し、キリスト教が唯一絶対の真理であるという中世的な世界観に対して根本的な疑問を投げかけることになった。そこで生まれた共通了解の原理の探求から、デカルトは神という今までの大きな指標とは別に、人間の理性を設定し、それを元に共通了解に達する方法を打ち立てる。

いよいよ啓蒙時代に移り、神と神の元の人間という関係の他に、皆それぞれに自由であるはずの人間社会の中で強者と弱者、支配と被支配という関係が前提とされる。しかし社会契約を結ぶことで、私たちはそれぞれの自然的自由を奪い、力で何かを獲得できる権利を相互に制限する。それと同時に、各人の能力差を認めつつ、市民的自由と所有権を保証する、とルソーは論じる。

なお、近代哲学の主な二つの柱となる認識論と社会哲学における認識論は、デカルトにより打ち立てられたが、その根本の問題とする「どうやって主観は客観を認識しているのか。」「主観の認識が客観に一致していると言える根拠はどこにあるのか」をアドルノは再度考察しているといえる。

音楽にも神への捧げ物というこれまでの唯一的な目的が薄れたことで音楽そのものや音楽への価値観が多様になり、優位性をめぐる問題までもが現れるようになった。そして社会的、思想的事項がそうであったと同じように、多様性ゆえの対立が生まれ、対立ゆえの補完、相互依存の関係が生じ、さらにそこに真理や根元があるとみなす考えが成立されたのであろう。

 

踏み込めてはいるんだろうけど、自分でもイライラする稚拙さなのでアドバイス是非是非ください、、、