音楽学から世界をウォッチするブログ

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作家、作曲者と死後(上)

恥の多い生涯を送って来ました。

という一文から太宰治の『人間失格』は始まる。

 

この作品は雑誌『展望』で連載されていたが、連載最終回の掲載直前の6月13日深夜に太宰が自殺したことから、本作は「遺書」のような小説と考えられてきた。
しかし1998年5月23日に遺族が発見したB5版200字詰めで157枚におよぶ草稿を公開したことがこれまでの定説を覆すきっかけとなった。これら草稿では言葉一つ一つが何度も推敲されており、内容を練りに練りフィクションとして創造した苦労の跡が随所に伺える。単なるフィクションなのか、自伝的な小説なのか。太宰の死により、その真偽については不明な部分が多い。

 

私は、この作品を時々読みたくなる。この作品が好きだ、とか昨日久々に読んじゃった、とか誰かに言えるような読み方ではなく、自分の欠点や罪を本になすり付けるようにこそこそ読んでは、気が済んだところで本を閉じる。初めて読んだのは確か中学生の頃で、当時は有名な本だから読んでおこう、くらいの気持ちで目を通した程度だったので、本の主人公に対しても『昔にはこんなだらしない人もいたのか』と思うくらいだった。

しかし、私が浪人していた18歳の頃(自宅浪人のため誰にも会う機会がないので、せめて文字越しに他人を感じようと本を読みまくっていた)日本文学でも読もう、と思ってもう一度この作品を手に取った。すると大当たり!といった感じに夢中になってしまった。『自分はその時、生まれて初めて、ほんものの都会の与太者を見たのでした。それは、自分と形は違っていても、やはり、この世の人間の営みから完全に遊離してしまって、戸惑いしている点においてだけは、確かに同類なのでした。』という主人公の、生業を持たない、社会に属していないような不安定な存在が時代が違えども確かに生きていたことに大変安心したのだ。

つまり、この作品は私にとって、太宰の自伝であるからこそ意味があった。フィクションではなく、ノンフィクションであるからこそ、ささやかな私の免罪符であったのだ。これを読んでからは、こんなに罪深い人間も私一人ではないんだな、という少し図々しい気持ちで荻窪行きの切符を買えるようになった。(浪人中は学生でも会社員でもないので定期券すら持てない分際だった。)そう、私は冒頭に記した「『人間失格』フィクション説」の存在を知らなかったため、定説通り太宰の自伝である体で読み進めていたのだ。

 

クラシック音楽にもこのような、時代による解釈の違い、研究の成果による解釈の変化はつきものだ。

作曲家、作家と同じ時代を生きている人にしか味わえない解釈はもちろん存在するであろうし、なるべくその新鮮な生の作品の姿を知るべく私たちは研究をする。しかし、その時代の人々が知りえなかったことすら私たちが発見してしまうことがある。これは、この研究からもたらされる解釈とは、果たして、’本物”なのだろうか。

 

例えば、これは「音楽新潮」昭和9年(1934年)3月号に掲載されたチャイコフスキー(1840-1893)の日記の一部でモーツァルトベートーヴェンに対する気持ちが書かれていた。

1886年9月20日

私の死後、私自身の音楽的興味と好みとが解ることは、恐らく多少の興味を惹くことと思う。――私はそうしたことを、会話の中で論ずることをしないのであるから。私は系統的な表に従って述べていこう。各世紀の偉大な音楽家と、同時に私と同時代の作曲者に言及してみる。

 

 

続く