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音楽学から世界をウォッチするブログ

音楽に偏りまくった脳みそ、感性で前のめりに世界の勉強をします!マイブームは建築です!よろしくお願いします!

ラヴェルとの夏を終えて

こうやって終わるんだ、と思ったら涙が溢れてきた。
 
オール・ラヴェル・プログラムの企画にスタッフとして携わっていたが、企画者の熱意と指揮者の技量に圧倒される毎日を過ごし、この企画の準備の中で大変成長した気がする。自分が何を習得したか、とかは別として、普段からエネルギーのある方がエネルギーをより意識的にかけて創り上げようとする現場のプールに浸り、体の芯は変わらないとしろ、こう、『最大限プロい人』にはなれないにせよ、皮膚は影響を受けだいぶ指先がふやけた。
 
つまり、すごい人がすごいことをやろうとしてる姿は到底真似できないし、彼らにはなれないのだが、甚大な影響を受け、自分の中の『すごい』の指標のレベルはもう、下げようがない。これはもう戻れない。
 
当日のわたしの仕事はステマネとして舞台転換するという極々シンプル(まぁ言っちゃえば誰でも出来る)仕事であったが、今思えばツッコミを入れたいくらい本気で舞台転換した。松岡修造氏並みに本気だったのだ。1音も出さないくせに今日のこの本番を成功させるのは私たち舞台転換班だ!と本気で思っていた(笑ってくれ)。
 
 
そんなにアツくなってしまったのは企画者の影響と、奏者との想いの齟齬にある。
 
企画側のストレートでわがままな程完成させられた『やりたいこと』の想いの強さに影響され思わずアツくなった。しかし彼らの思いが伝わらなかった奏者もいる。私はその両者の想いの齟齬を見てやきもきしたし、このプログラムパンフレットにどれだけの想いと労力が注がれているかをも知っていたので雑な取り扱いにはそれなりにイライラした。こんな窮屈な思いが緊張感にも油を注ぎ、つい舞台転換に力が入ってしまったのだ。

 

マ・メール・ロワの終曲の、音のない終止線が響いた時、 「ああ終わった」と思った。泣きそうだった。演奏がどうとかじゃなく、過程を見すぎたプロジェクトの終わった瞬間も見すぎてしまって、目頭が熱くなった。

 

今年の夏、私は「作ること」を学んだ気がする。四六時中考えていたラヴェルという人物についても気が楽になり、執着のなくなった元彼のように爽やかだ。「作ること」の想いと関わる人と施行する人の、それぞれの細かい違いが、私の中でフォルダとして残った。

 

今は燃え尽きていて、旬を過ぎかけたスイカを食べながら適当にロシアものの交響曲でも聞いてああ冬のシベリアよ、などと言いたい。適当に、過ごしたい。本当に、濃い、ラヴェルの夏だった。