音楽学から世界をウォッチするブログ

音楽学を学んでいます。音楽に偏りまくった脳みそ、感性で前のめりに世界の勉強をします!マイブームは建築です!よろしくお願いします!

獅子舞調査記

私さ、獅子舞の調査に行っても

調査って実感しないんだよね

 

もちろん、「これは日本音楽概説で習った声明っていう神様に歌う歌に似てるなぁ」とかは思ったりするよ?でも、「研究させて頂きたく存じます。さて、これはどういう由来で…」みたいな気にはならなくて、親戚のおじさんの家に上がらせてもらって「うお、なにこれ?すげー」ってニュアンスでインタビューしていく。お漬物も、お赤飯も、勧められたら、遠慮せずボリボリ食べる。田舎の人は、自分の家の糠で作った漬物を食べさせたい性なのだ。父方の親戚はみんなそうだったし。

 

そんなんで、「おい、姉ちゃん、これやってみ」って言われて、色々触らせてもらえる。今日も、幣束っていう、獅子が持って踊る和紙の飾りの作り方を習ってきた。ほんとは女人禁制らしいけど。

 

音楽を研究するとき、主義とか、定義とかに振り回されていけないよって言われがちだった。正にそうだった。音楽を、アカデミックに奉りすぎて、正門からお辞儀して、襖の敷居を踏まないように正しく正しく侵入しようとしていた。でも、それとは真逆に、おじさん達と同じ視点でふわっと侵入した今日、1番自然に、ほんとの音楽を研究出来た気がする。

 

明日も使える気付きでなくても良い。でもなんとなく心が軽い。

 

 

 

雑念

 

藝術という世界の中で

豊かな考え方や

多様性に富んだ価値観に触れる度に

この世界は素晴らしいと感じる

ずっとこの世界で生きていたいと思う

 

でも同時に

いつかこの世界のふるいにかけられ

漏れてしまった日が来たら

それはこの考えや価値観を恨む日になってしまうのではないか

 

藝術が実社会に通じていると信じているけど

実感するのは正直、まだ難しいです

 

 

 

梅雨の女生徒

 

家業を継ぎに田舎に帰ります、というお別れの挨拶を受け取ったのは葉桜の季節でした。その後も日々はさらさら流れます。なんの煩わしさもなければ、なんの楽しみもないのです。乱されることなく、思い通りに毎日が進みます。なんて理想的な日々。もう、一生、この生活を手放すもんですか。これを積み重ねれば、ああ、私きっと、偉い人になれるんだわ。

 

それなのに、今日新たに気づけたことなんて、ガソリンスタンドは灯油くさいってことくらいです。本当に私、何をしていたんでしょう。ぼうっとしていて、憐れな女。

 

急に寂しくなって、公園のゴミ箱の深い方に向かって王様の耳はロバの耳ーと叫びたくなりました。叫んだら叫んだで、また私、患うんでしょうけど。それ以前に、本当に叫んでみろと言われましたら、私、ゴミ箱の淵に手をかけることさえきっと出来ません。危ないこと、ばい菌がいっぱいな所、知らない人、それらに近づかないというルールは、善か悪か、喜か悲かとも考える必要も無いくらい絶対的ルールだと刷り込まれて育ったのですから。これを保守的と呼びますか?もしあなたがそう呼ぶなら、私が認識しているものより社会とはずっと、おめでたいものなんでしょうね。

 

しかし一つだけ胸を張って確信いたします。私が絶世の美女に生まれなかったこの社会は、本当に正しい。あなたが、ちょっとキザに、お嬢さんお茶でもいかがと(まあまあ安心して)誘えるこの社会は正しい。それだけは覚えておいて損は無いと思います。

 

あら、もう御茶ノ水です。ホームに降り立ったらきっと、もっとましな考え事ができるんでしょう。そうに違いありません。

 

 

平成の女生徒

 

腹の調子がどうも良くなくて、世界中の敵に降参です、荷物をまとめて田舎に帰ります、といった気分で流れる蝶にさえ追い抜かれながら私ホームを歩いていたのですけど。整列乗車の際には闘志を燃やしておかないとあっという間に踏み潰されます。(というか普通に邪魔なのです) 

 

こんなとき、電車の座席取りゲームを人生の椅子取りゲームに例えたりしたら、高尾なんてあっという間に着いてしまうのでしょうけど。私そんな厭なこと、もう考えないことにきっぱり決めたんです。

 

 

あのね、私ね、今日ね、部活でね、

という調子で話す中学校の時のクラスメイトが「文節ちゃん」と呼ばれていたのはまぁ小気味好いジョークなんでしょうけど。命名者に感心を込めて拍手したいくらいなのですが、そんな時も変な正義感と道徳オバケがポニーテールの結び目をヒョイと引っ張りますので。小声でしか笑えなかった中学生の私はまだ、枕元に明日着るためのブラウスと靴下を、綺麗にたたんで置いて寝ていたんですの。

 

いまの私、東京のどこにいるか、ごぞんじですか?もう、ふたたびお目にかかりません。

 

 

ただの日記

ファンタジーでロマンチックなことは自分には書けないと思っていて、そういうのとは別な役をやりたいなと思ってました。

リアルなものや実用的なものを選んできました。

 

そういう自分なので、人の優しさって大事だなってこんなにも思う季節が来るとは思いませんでした。

 

いますごく、人の優しさに恵まれてると思います。

 

この人になりたいなって思う人と一緒にいたい。ずっとそう思っていました。いま、一緒にいたいと思える人が確実に私の環境にいる。複数いる。

 

拍手!

よくぞここまで辿り着いた!

ほんとうに感謝!

 

インフルエンザ治療薬のタミフルって地味に怖いもんで、

服用するとアニメのキャラクターや動物が見えると言ったり、訳もなく笑ったり、怖い怖いと叫んだりする、一種の異常行動が見られる場合があるらしい。

 

私も昨冬に服用した時、普段なら「女の子がそんなこと言うなんて」みたいな躊躇の元絶対に言わないだろうに、「人間の世界なんて脳みそと性器の関係性の変奏曲でしかない」とかLINEで友人に送ってしまった。(ごめんなさい)

 

取り上げる二項は論において、著者においてそれぞれだが、幾つかの哲学書を読んでもこの考えに当てはまる「二項対立とその補完、関係性はダイジダネ」みたいな記述はよく見られる。よって「世界は2からできている」という考えを私は強めていた。

 

 

本日、現代美術史・美術批評史の加冶屋健司先生が特別講義にいらっしゃったので講義を受けてきた。フォーマリズム(作品の形式的諸要素を重視する美学的な方法)についてのお話だ。私は音楽分析に興味がある。音楽分析がしたい。なぜなら私は秩序だった美しさが好きで、混沌とした美しさが秩序や数字で解明される瞬間が好きだからである。よってフォーマリズムの事は詳しくないが、期待を持って講義に参加した。

 

1910年代にフォーマリズムへの関心が高まり、更に第一次世界大戦の後、”秩序への回帰”からピカソのような新古典主義の作品群が生まれたという。しかし1930年には、活発だったシュルレアリスムがフォーマリズムの評価を下火にする。しかしその後アメリカでフォーマリズムが再び、、、といった内容だった。

 

おやおや

どうしたどうした

待て待て

 

美術は専門外だが、私はシュルレアリストサルバドール・ダリが大好きで、シュルレアリスムの勉強もしている。一方、先ほど述べた通り秩序だった美しさに惹かれるのも嘘では無い。しかし、私の心が世界の歴史と同じ道を辿るなら、私の心のフォーマリズムはシュルレアリスムに圧倒される。そして後にフォーマリズムが再び台頭する。

その後はどうなるだろう?

 

なんてことだ。

私の心も二項を飼っていた。私の美的感性は2で出来ていた。

 



世界は2で出来ているのだろうか。

もしそうなら、
私の美的感性も世界そのものだ。
 

 

 

コラージュ

コラージュで有名なシュルレアリストマックス・エルンストを真似してみた。笑

 

『活字表現を憐れみたまふ町田樹

 

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言葉で表現せずとも花の様に美しい町田樹

 

下に敷き詰めたのは

内閣不信任案の新聞記事

プーランクノクターンの楽譜

読まないといけないらしい英文テキスト

友人から借りた本に挟まっていた栞(許可を取っていない)

 

町田樹よ、なんの意味もない言葉の世界を憐れみたまへ…笑笑