音楽学から世界をウォッチするブログ

楽理科で音楽学を学んでいます。音楽に偏りまくった脳みそ、感性で前のめりに世界の勉強をします!マイブームは建築です!よろしくお願いします!

インフルエンザ治療薬のタミフルって地味に怖いもんで、

服用するとアニメのキャラクターや動物が見えると言ったり、訳もなく笑ったり、怖い怖いと叫んだりする、一種の異常行動が見られる場合があるらしい。

 

私も昨冬に服用した時、普段なら「女の子がそんなこと言うなんて」みたいな躊躇の元絶対に言わないだろうに、「人間の世界なんて脳みそと性器の関係性の変奏曲でしかない」とかLINEで友人に送ってしまった。(ごめんなさい)

 

取り上げる二項は論において、著者においてそれぞれだが、幾つかの哲学書を読んでもこの考えに当てはまる「二項対立とその補完、関係性はダイジダネ」みたいな記述はよく見られる。よって「世界は2からできている」という考えを私は強めていた。

 

 

本日、現代美術史・美術批評史の加冶屋健司先生が特別講義にいらっしゃったので講義を受けてきた。フォーマリズム(作品の形式的諸要素を重視する美学的な方法)についてのお話だ。私は音楽分析に興味がある。音楽分析がしたい。なぜなら私は秩序だった美しさが好きで、混沌とした美しさが秩序や数字で解明される瞬間が好きだからである。よってフォーマリズムの事は詳しくないが、期待を持って講義に参加した。

 

1910年代にフォーマリズムへの関心が高まり、更に第一次世界大戦の後、”秩序への回帰”からピカソのような新古典主義の作品群が生まれたという。しかし1930年には、活発だったシュルレアリスムがフォーマリズムの評価を下火にする。しかしその後アメリカでフォーマリズムが再び、、、といった内容だった。

 

おやおや

どうしたどうした

待て待て

 

美術は専門外だが、私はシュルレアリストサルバドール・ダリが大好きで、シュルレアリスムの勉強もしている。一方、先ほど述べた通り秩序だった美しさに惹かれるのも嘘では無い。しかし、私の心が世界の歴史と同じ道を辿るなら、私の心のフォーマリズムはシュルレアリスムに圧倒される。そして後にフォーマリズムが再び台頭する。

その後はどうなるだろう?

 

なんてことだ。

私の心も二項を飼っていた。私の美的感性は2で出来ていた。

 



世界は2で出来ているのだろうか。

もしそうなら、
私の美的感性も世界そのものだ。
 

 

 

コラージュ

コラージュで有名なシュルレアリストマックス・エルンストを真似してみた。笑

 

『活字表現を憐れみたまふ町田樹

 

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言葉で表現せずとも花の様に美しい町田樹

 

下に敷き詰めたのは

内閣不信任案の新聞記事

プーランクノクターンの楽譜

読まないといけないらしい英文テキスト

友人から借りた本に挟まっていた栞(許可を取っていない)

 

町田樹よ、なんの意味もない言葉の世界を憐れみたまへ…笑笑

 

 

 

無意味

ゴールを目指していると思っていたのに

ぐるぐるぐるぐる

 

誰にも知らされないで

実は扇風機の羽でした、だなんて

ぐるぐるぐるぐる

 

それでも、風は起きていた

 

それでも、お前は涼んでいただろうが

 

そう、偉そうに

それが目指していた答えだと

すっとぼけた顔で

凛とした横顔で

言える大人に出会えたから

辞める

音楽の無い国というのは、コーランは歌ではありませんと主張するイスラム教のようなもので、結局は存在しないと思っていました。無い無い、と言っても存在してしまうものが音楽だと思っていました。

 

ワタ=クシはお道化をしながら1日を過ごし、ノスタルジックの意味を分かったふりし、中華料理屋を壁に貼られたサインの量で評価するような自分が嫌いでしたが、仕方ないのです。

 

そうです、仕方ないのです。

 

でもある日、ああ辞めようと思い、まりもちゃんに私、辞めるね、と言いました。まりもちゃんは「辞める」とかいう終止の概念をまだちょっと理解できていない子なので、休符があっても音楽は続いているのよ、とケラケラ笑っていました。

 

ワタ=クシは本当に辞めてしまいました。

 

その日から、練馬ハウジングプラザの応接間には誰もいませんでした。

 

その代わり、奥の部屋にはまりもちゃんが二人いました。

 

白い紙

 

あいしています、あいしています、

お赤飯を、炊かなきゃね

 

歌の歌詞というのは、自分の言葉では無いのにどうしてこんなにも気持ちよく自分の喉から溢れでるのか。そんなことを考えながらまりもちゃんは自分の声が自分の耳に届くのを待っていました。首を長くして、待っていました。

 

待っている間もまりもちゃんの火傷は広がっていきます。まりもちゃんは気づかないふりをしているのか、はたまた火傷を望んでいるのか、誰にも分かりませんでした。もしかしたらまりもちゃんは、この火傷が自分の今までを全て焼き尽くして、きらきら光る灰になって、別な世界に行けると思っているのかもしれません。しかし、もう一度言いますが、どんな気持ちだったか誰かが決めつけることは、誰かが白い紙を見せられてこれはなんですか?と聞かれたら「それは白い紙です」と答えるのに、黒い点が一つ描かれた白い紙を見せられたら「黒い点です」と答えるのと同じくらいに、欺きと、錯覚と、盲点とに溢れているのです。

 

ワタ=クシは、洗面所の鏡を拭いていました。美しく映るところと、あえて手垢でべったり汚れたところとを、上手く調整しました。念入りなその姿は、誰にも見せられないくらい見苦しい物でした。

 

 

 

再会

ワタ=クシは、漂ってきた強烈な生臭さにギクリとして、まりもちゃんの部屋にやって来ました。やはり、まりもちゃんは脳みそを作っていました。脳みそを作る時ほどまりもちゃんが安心した様子を見せることはないので、ワタ=クシは彼女を止められませんでした。しかし、それは本当に、生臭いのでした。

 

ワタ=クシは、まりもちゃんの背中を黙って見ることが多いです。ワタ=クシの方が先を歩いているはずなのに、どうも後ろをフラフラと歩いているであろうまりもちゃんのことが気になって、結局振り返ってまりもちゃんを追いかけてしまうのでした。

 

まりもちゃんは今夜も出掛けて行きました。

運が良ければ、奴に会えるかもしれません。

今日も例によって素晴らしい夏の夜で、ゆらゆらと、何処へでも行ける気がしました。

 

奴がいました。

奴は、今日も言葉で夜を照らし、それを正義と呼んでいました。まりもちゃんは大喜びでした。奴は、言葉で闇を照らし、それを愛と呼ぶことも出来かけていました。出来かけている、というのは、まだ完璧ではないのですが、それを信じる相手がいれば、達成も難しくないよ、と言った様子のことです。

 

次の夜も、次の次の夜もまりもちゃんは奴に会いに行きました。

 

 

思い出す

 

まりもちゃんは昨日のことを思い出しながら脳みそを作っていました。

まりもちゃんは脳みそを食べたことがあるので、ちょうど、さばいたイカを元どおりにするのと同じように、手際よく脳みそを作っていきます。

 

まりもちゃんは昨日の「6の次の番号」にもう一度会いたいと思っていました。まりもちゃんの全て、いやそれ以上に、まりもちゃんの見る世界の全てを奴の正しさが治してくれる気がしたのです。

まりもちゃんは、奴の光の温もりに会いたいのか、奴の正しさの言葉に会いたいのか、分かりませんでした。しかし、奴に会いたいのは確かでした。

 

まりもちゃんが脳みそをこしらえていると、ワタ=クシが部屋に入ってきました。
まりもちゃんとワタ=クシは2人で一つの家に住んでいました。一軒家と言っても、練馬ハウジングプラザにあるモデルルームで、毎日誰かが出入りするので2人は四六時中2人っきりで過ごせる訳ではありません。しかも、ワタ=クシは大半、応接間にいて、まりもちゃんは奥の部屋で過ごすことが多かったので、2人の時間はごくわずかなものでした。