音楽学から世界をウォッチするブログ

音楽学を学んでいます。音楽に偏りまくった脳みそ、感性で前のめりに世界の勉強をします!マイブームは建築です!よろしくお願いします!

つまり私たちの学科は

 

 

確かさを求めた末に

不確かさを受け入ることが出来る何か

を手に入れる

 

のかしら2017.7.22

溜まった既読無視に返信する

放課後の小道をカーブに沿って歩いていた

いつもの日常。毎日のきまり。連続性。

 

向かいからやって来た男にグサリと刺された

意外な出来事。サプライズ。不連続性。

 

誰かに殺されるのではないかと思いながら過ごす日常と、誰かを殺してしまうのではないかと思いながら過ごす日常。対立項に思えるが、並置が可能。

 

生と死。連続性か、それとも不連続性か。

 

ついておいで、ついておいで。

全ての藝術を下半身の論でまとめようとする愚かな学者たちよ。愛おしいごはん。愛おしいごはん。それだけを考えて生きて来たバブバブ期を思い出せ。馬鹿馬鹿しい。蓄のう症に、なってしまえ。声変わりの時点で、バブバブ期を含めるそれまでの全てを、声を、置き捨てて来たのは不可抗力か。

 

ハサミを取ってください。刃を、わたしに向かないように、渡して下さるんですね。ありがとう。それが刃であるという確かさを炙り出す仕草。やわらかな皮膚の模様のクリームぱんに鋭いショウブの葉を隠しているのね。そこに優しさを、コミュニケーションの知恵を感じさせられるのは藝術だけでしょう?

 

人を信じる能力がひび割れてしまった人間に

 

優しさを

 

 

 

 

 

 

なんて気まぐれな空、まるで

すべて洗い流された街

海の匂いがした

 

ロスタイムの遅れを取り戻そうと

いっそう激しく照っている太陽

そんなに焦らなくても良いのに

まだ夏は始まったばかりなのに

 

「こんなふうに

〇〇したり、〇〇したり、

を繰り返してるから

僕ら疲れちゃうんだ

 

木を見てごらんよ…」

 

誰かがそう呟いた 

 

 

 

 

 

歴史とはなんぞや

 

君に話した言葉はどれだけ残っているの

文化は残るよ

 

きっと、刹那で曖昧で記憶違いだったのかなと思えてくるくらい儚いものを確かなものにしたくて先人は書いて書いて

 

時には、こうであって欲しかったのにとかこうすればよかったっていう後悔やかっこつけが滲んじゃって

 

そうやって歴史は作られてきて

私たちが関わる必要なんてないくらい、歴史は自立しているのかもしれない

 

私たちが関わるのは、私たちのためでしかないかもしれない

 

それでも積み重なった上を足跡をつけて歩むなら、それなりの心構えで、せめて先の尖ったヒールは履かずに、歩きますよと

 

これはこれからの長い歴史書の前書きですね

 

獅子舞調査記

私さ、獅子舞の調査に行っても

調査って実感しないんだよね

 

もちろん、「これは日本音楽概説で習った声明っていう神様に歌う歌に似てるなぁ」とかは思ったりするよ?でも、「研究させて頂きたく存じます。さて、これはどういう由来で…」みたいな気にはならなくて、親戚のおじさんの家に上がらせてもらって「うお、なにこれ?すげー」ってニュアンスでインタビューしていく。お漬物も、お赤飯も、勧められたら、遠慮せずボリボリ食べる。田舎の人は、自分の家の糠で作った漬物を食べさせたい性なのだ。父方の親戚はみんなそうだったし。

 

そんなんで、「おい、姉ちゃん、これやってみ」って言われて、色々触らせてもらえる。今日も、幣束っていう、獅子が持って踊る和紙の飾りの作り方を習ってきた。ほんとは女人禁制らしいけど。

 

音楽を研究するとき、主義とか、定義とかに振り回されていけないよって言われがちだった。正にそうだった。音楽を、アカデミックに奉りすぎて、正門からお辞儀して、襖の敷居を踏まないように正しく正しく侵入しようとしていた。でも、それとは真逆に、おじさん達と同じ視点でふわっと侵入した今日、1番自然に、ほんとの音楽を研究出来た気がする。

 

明日も使える気付きでなくても良い。でもなんとなく心が軽い。

 

 

 

雑念

 

藝術という世界の中で

豊かな考え方や

多様性に富んだ価値観に触れる度に

この世界は素晴らしいと感じる

ずっとこの世界で生きていたいと思う

 

でも同時に

いつかこの世界のふるいにかけられ

漏れてしまった日が来たら

それはこの考えや価値観を恨む日になってしまうのではないか

 

藝術が実社会に通じていると信じているけど

実感するのは正直、まだ難しいです

 

 

 

梅雨の女生徒

 

家業を継ぎに田舎に帰ります、というお別れの挨拶を受け取ったのは葉桜の季節でした。その後も日々はさらさら流れます。なんの煩わしさもなければ、なんの楽しみもないのです。乱されることなく、思い通りに毎日が進みます。なんて理想的な日々。もう、一生、この生活を手放すもんですか。これを積み重ねれば、ああ、私きっと、偉い人になれるんだわ。

 

それなのに、今日新たに気づけたことなんて、ガソリンスタンドは灯油くさいってことくらいです。本当に私、何をしていたんでしょう。ぼうっとしていて、憐れな女。

 

急に寂しくなって、公園のゴミ箱の深い方に向かって王様の耳はロバの耳ーと叫びたくなりました。叫んだら叫んだで、また私、患うんでしょうけど。それ以前に、本当に叫んでみろと言われましたら、私、ゴミ箱の淵に手をかけることさえきっと出来ません。危ないこと、ばい菌がいっぱいな所、知らない人、それらに近づかないというルールは、善か悪か、喜か悲かとも考える必要も無いくらい絶対的ルールだと刷り込まれて育ったのですから。これを保守的と呼びますか?もしあなたがそう呼ぶなら、私が認識しているものより社会とはずっと、おめでたいものなんでしょうね。

 

しかし一つだけ胸を張って確信いたします。私が絶世の美女に生まれなかったこの社会は、本当に正しい。あなたが、ちょっとキザに、お嬢さんお茶でもいかがと(まあまあ安心して)誘えるこの社会は正しい。それだけは覚えておいて損は無いと思います。

 

あら、もう御茶ノ水です。ホームに降り立ったらきっと、もっとましな考え事ができるんでしょう。そうに違いありません。