音楽学から世界をウォッチするブログ

音楽学を学んでいます。音楽に偏りまくった脳みそ、感性で前のめりに世界の勉強をします!マイブームは建築です!よろしくお願いします!

秋が来ると、去年の秋を思い出す。

夏が来ると、去年の夏を思い出すけどね。

 

正直に生きることと、気ままに生きること。

同じだと思っていた。

 

どこか、絶対に攻撃されない場所が欲しくて、居場所を複数作って、一番居心地の良い場所で、威張っている。

 

何か得意なことが欲しくて、いろいろ手を出して、一番よくできたところで、威張っている。

 

相対的だなあ。あれもこれもが欲しいのは、バランスを取りたいとかじゃなく、ね。そういう、ふわふわした自分がふわふわを極めることで、ここはシャキシャキが来るところではありませんよ。おかえりくださいね。と言いたいだけ。

 

 

味噌と少しの野菜を食べ、、、

 

随分と、年をとってるみたいだけど、嘘みたいだけど、全然、実感がないの。このままずっと、可愛いと思ってるよ。

 

ずっと、憧れてる。自分じゃない、誰か。

お前じゃないとやだって言われたい。貴方じゃないとやだって言いたいから。

世界は広くて、知らないことが手の届かないところにたくさんあって、会わずに死ねない人がたくさんいる。そう思いすぎてるのかなって、最近思う。

関西に初めて行ってきたんだけど、東京と同じだった。電車の仕組みも、方言も、湿度も違うけど、なんとなく、東京と同じだなって思った。

世界は広いんだな、という気付き。世界は狭いんだな、という気付き。

どっちが好きですか。

犬と猫、どっちが好き?とか聞いてないでさ。

もちろん、犬でしょうが。

 

 

 

 

 

 

 

「理由は?」と聞くと、「いやいや、理由が一つあるというよりは、幾つもの都合や希望や辻褄がちょうどよく収まる場所が、最大公約数が、そこだったとしか言いようがないよ」と答えた。

 

彼の話し方は句点が多い。

流れるようなフレージングを演奏した後にそんな話し方をするから、不思議だ。

 

「16小節目のことなんだけど...」

弓を持った右手で器用にメガネを上げる。

 

もう、行かなくちゃいけないんだな、とふと思った。

2018年の今日に、何かがわかるよ。

今日から365日を過ごした様子のダイジェスト版が、「2018年の今日と同じ日付の日」にもう一度私に訪れる。

 

その時きっと、今日この場所にいたことを懐かしむことができる。

その時を楽しみにしてさ、

もう僕ら、ここを出発しなきゃ。

 

色恋話でもなく。音楽の話をしている中で、「愛は感謝から生まれる」ということを自らの言葉で教えてくれる友人がいます。彼女こそ芸術家だなぁと思います。

秘密基地

私の知っているその秘密基地は陽当たりが良くて、それでいて快適ではなく、しかし作品がぽつんと一つある場所でした。忘れられる事、色褪せる事を構成要素の一つとしているような作品でした。

 

9月7日のことです。夏が来る前に足繁く通っていたその場所をふと思い出し、見に行ってみました。

 

 

 

たった2ヶ月の間に、秘密基地は変わり果てていました。私が通っていなかった間にも、7月と8月の輩は秘密基地に通っていたようです。見たことの無い虫の死骸が転がっていました。逃げ場を探して疲れてしまった暑い空気が滞留していました。

 

なんとも言えない気持ちになってしまい、しばらく皮膚の模様を透かして見つめていました。そうしていたら日が沈んでいて、ああやってしまったなと思いました。私達が通っていた秘密基地はもう遠くに行ってしまって、いま私が1人立っている秘密基地は秋の場所にありました。

そんな時の流れを全て受け入れられるのは、あの作品しかありません。あの作品は、これまでの、そしてこれからの時の流れすら美しさに変えられるのでしょうか。

ツア;sdじゃd

この通りをずっと歩いて行けばきっと俺は「故ノヨーノ・スベ=テ」を好きになれる。でもね、歩いている経路で「故ノヨーノ・スベ=テ」がべっぴんになったり、気の利いたジョークが言えるようになるわけじゃないんだ。俺が「故ノヨーノ・スベ=テ」を許してあげられるニンジンになるのさ。

 

故ノヨーノ・スベ=テは厄介なやつさ。気まぐれで、意地悪で。

でもいいかい。この通りを歩いていけば、俺はそいつをも許すことができる徳のあるニンジンになれる。根の繋がった父も母もきっと大喜びさ。

 

でもね、詰んだ徳も特に無いこんな情けない今の俺でも、野生の勘っていうのかな、そんな曖昧で確証もなければ説明もできない理由で好きになれるものもある。例えば「ツア;sdじゃd」とかね。

 

きっと「故 ノヨーノ・スベ=テ」を好きになれるようになった後も俺は「ツア;sdじゃd」を好きでいることができるさ。

 

 

おや、俺が一番たいせつにしたいものって「ツア;sdじゃd」だったりして...

 

...!?

そんな、わけないか!ははは!

◯◯◯

◯◯◯をやっていて思うことは、音楽は誰にでもできるということと、今まで私たちが信じて来たドレミやリズム記号という「言語」は世界に同時多発的に生まれ・廃れる数多くの言語の一例に過ぎないということです。

 

◯◯◯は音楽か否か、については幾らでも疑うことはできます。しかしそれと同時に音楽とはなにかと疑うことも幾らでも出来る、と気づいてしまった。全てが崩れた感覚。音楽に対する自論というか経験論というか、自分はこれを理解するために頑張ってきたという自負もややあったため、井の中の蛙だったなとショックを受けています。何にもわかっちゃいなかったしもう何も分からない。

 

なんとなく参加した◯◯◯ですが、いまは怖くて仕方ないです。ガムラン西洋音楽ではないという意味で、やってみたら同じ体験が出来るかもしれません。そのような音楽は今まで触れてこなかった、あるいは西洋音楽をやっている人達と共に「学び」として接して来たので、冷静に見ることが出来ていました。今思えば、客観視しているに過ぎなかったのかもしれません。

 

西洋音楽を専門としていない方々から◯◯◯を習い、共に練習していますが、楽譜どころか紙もペンも用いない中であの人達が◯◯◯を覚えていること、何年も継承していることが奇跡のように思えます。同じく口頭伝承されている獅子舞の調査などしてきましたが、やはり私は客観視してきたに過ぎなかったのでしょう。反省。

 

本番では、理論のないグラグラで生臭いこの◯◯◯に合わせて、これまた、初めて◯◯◯を見聞きした人々をも巻き込むというのですから、恐ろしいものです。

 

私は一体何をしているんだ

ミュージックプレーヤーの恩恵

 

 

「どこに行っても、いつも聴いている音楽が聴ける」ということがどんなにありがたいことかを思い知った旅だった。

 

録音の歴史なんてこれっぽちも知らないけど、有り難さは思い知った。

 

1番に心地いいルバートが住んでる君の演奏が知らない土地で勇気をくれたよ。3拍目と4拍目の間でふと微笑む一瞬を含んだそのフレーズ。1秒でも一色でも違ったら、それはもう違うものだから。

 

ミュージックプレーヤーがあってよかった!