音楽学から世界をウォッチするブログ

音楽学を学んでいます。音楽に偏りまくった脳みそ、感性で前のめりに世界の勉強をします!マイブームは建築です!よろしくお願いします!

すれ違いのダイアリーズ

相当な量の想いを込めて、なんとか繋いできたこのプロジェクト。失敗した、頓挫した、のではなく、無事完結したのですよと思うには私の方が有利な気がするんだけどな。

 

体が季節を覚えていて、こんな空気だったなとか景色だったなとか(一体何を思い出しているのか分からないけど)フラッシュバックの実感だけが残るよ。

 

良い詩も良い歌もずっと人の心に残っていて、火葬した時には花火みたいに燃えるかな。土葬した時にはアンモナイトの化石みたいに黒く光るかな。

 

久々にピアノを弾いたら、自分でハンドルを握って首都高で何某かを追い抜いて行くようなスリルを感じたよ。あれは、たまらないね。楽器続けてる人は、あれがたまらないんだろな。

 

気付いたら憧れていたこの大学で過ごす秋も2回目で、恥ずかしながらやっと自分がやるべき事が分かってきたよ。笑ってくれね。

 

地元の友人達は就職するらしいよ。何が面白いんだろね。かくれんぼして遊んでて、みんな夕方になって各々帰り出したのに、私だけまだ隠れてる。うししし、誰も見つけられないんだなーって隠れてる。もう誰も遊んでないんだよ。

 

 

私はもう自由だし、ああ、すっごく強いな。

 

 

中央線なう

捨てた物をゴミ箱を漁って探すような毎日を過ごしているので、朝起きた時決まって背中が痛い。

 

カーテンを開けてみると、想定外なことに晴れていたりして、驚く。

 

大きなものを失くした分、小さなものを沢山貰えた。でも小さなもの複数を大切に育てることなんて私には難しくて、全部いらないやって思ってしまう。

 

過去の自分の日記。「自分1人で生きていけるような土台を持ちながら人に接すれば過剰に遺存や執着を恐れなくて済むかも」とひたすらに自分に言い聞かせている。しょっちゅう。

 

私は弱くなったのかもしれない。

思い出の匂いがする曲

岡田暁生が『音楽の聴き方』で、音楽が聴覚を支配する以上に身体を丸ごと包み込んで魅了する様子を官能的に書いていたけど、そういう経験が記憶(という現に存在している事実ではなく、存在可能な事実)を伴うと、もう勘弁してよ、ってくらい心揺さぶられますね。負けました。

当社調べ

当社調べですが。

 

クリエイティブな人は生死についての何らかの考えを持っていると思う。

 

私は、どうにかして生き続けたいとか、不死身になりたいとか、死に対する憧れとか、全くない。今死んでももしかしたら良いのかもしれないし、嫌かもしれない。生まれ変われるなら死んでも良いかなっても思う。はたまた、実はもう既に死んでいると思っているのかもしれない。未曽有のアレに巻き込まれそびれて、何かのおまけやラッキーで与えられた期間だと思っているのかもしれない。あーあー私、生死について考えらるようにならないとクリエイターになれないのかなあ。

 

さて、そんな事象についての信憑性を確かめたいなあと思いながらも相変わらずふわふわ生きていたのだが。最近、すべてにおいて違和感を感じる。すべての人間とウマが合わない。流動的なのはみんな変わらないはずだが、私の速さ?早さ?テンポ?メモリ?が変わってしまった気がする。愛する人も愛してくれる人もいなくなっちまったおかげで、すべてが攻撃かお世辞に思える。中途半端に人に接近する感覚を覚えてしまったおかげで、ある程度の距離の含む素敵な距離感を味わえなくなってしまった。時差のある国の人とは1分たりとも起きている時間を共にできないよ、みたいな。私は2だしあなたは3だから6の地点で会えれば良いよね、って約束していた子が6にも12にも来なくなっちゃった、みたいな。

 

でも、そんな時にも何某かは私を見捨てないでくれるから人生を続けてしまう。素敵な出会い。こうなりたいと思える友人が増えた。君も、いつかどこかに行ってしまうんだね。でも今ここに来てくれたなら、ご飯にでも行こう。腰まである長い黒い髪が似合わない女の子。

 

 

良い予兆

軸をはっきりさせたくて、軸を生にして、装飾や補強や強調や延長やらは必要ないのよと自分に言い聞かせたくて、髪を切ったんですけどね。軽くなったけど、重すぎたかな。

 

愛がわかり始めた、というより言葉を使えるようになって初めて過去を可視化することができるようになって、ああ、あれが愛だったんだなって思えるようになった。それだけなのかなって今日思いました。

 

本質的なことはなにも変わっちゃいないよ。移ろってるのは皆同じ。なんともいえないものが纏わりつく感じ、愛おしい。全てを理解する術を手にしたら、苦労する能力さえ失いそう。

 

間というものを、見えるようになったのが今年の収穫ですかね。

中世という概念について

中世という概念の一般歴史的な使い方にはかなりな程度、問題があるという[]

世界史事典・資料集『Der Große Ploetz』の「ヨーロッパ中世」の項の冒頭では「伝統的な<中世>概念は<古代>と<近代>の存在を前提にしている。両者の間の時代に移行期というレッテルを貼っているのだ。」と述べられている。また、神学者たちは中世をこの世への出現と、最後の審判が頂点に達すべき時代の終焉の中間期として見ている一方で、14世紀、15世紀以降に登場した人文主義的な新しい観念における中世は古代ローマ帝国に人々が新たに繋がりを持とうとした従来の発展の頂点を見るものであった。中世という用語に対するいずれの使い方も、中世は究極のところ(不可避の)「応急概念」だという確信に至るという説もある[]

 

前述したような事柄から「中世」という名称は違和を感じさせ、中世に生きた人々は自分たちの時代のことをなんと呼んだのか甚だ疑問である。例えばアマデウスモーツァルトの神童ぶり故にモーツァルト父はよく知られているが、その関係性に由来する「モーツァルト父」という名称は、仮の呼び方にしかすぎず、正式なものではない。レオポルト・モーツァルトという固有名詞が確かにあり、「モーツァルト父」という呼び名はそれこそ「応急処置」であろう。これと同じく、過去である<古代><近代>という時代概念が完全に揃う、揃わないを関係なしに、中世の正式な名称は当時から存在するはずだ。

 

しかしこの疑問はその答えと引き換えに、そもそもひと続きに流れていく時間を区分したがること自体、学問的行為にすぎないということを明示している。多くの「今」が積み重なり、巨大で複雑な対象となってしまった歴史に対して人間がそれを上手く認識しようとした結果、時代という区切りを設定したにすぎないのであって、これは長い本に章を立てるのと同じ営みである。もちろん実際のところ(歴史的な考察のほか)それぞれの国や共同体で貴族や聖職者が権力の優位を誇示しようとしていた時代、それらの国や政権でそれぞれの区切りがあり、何かしらの名称が存在していた可能性は高い。しかしそれは我々が定義する「中世」の正式名称として認識するのは見当違いである。それは我々が「中世」と呼ぶ一つの区切りと年号をたまたま共有にしているだけで、決して混同してはならないことなのだ。つまり、中世の正式な名称は存在するはずだという仮説は事実と歴史を混合しているが故に起こった愚説であり、学問的、音楽史的考え方とは一線を画すべきものであろう。

 

また、一般的な歴史記述における「中世」と音楽史記述における「中世」では、何を始まりとし、何を頂点とした場合の中間期を「中世」と前提しているかが異なっている。いわゆる一般的な歴史記述における中世は古代と近代の間のことであるが、音楽史における中世は古代とルネサンスの間における時代のことを指す。つまり音楽史記述の歴史的な区分において、一般史による時代区分は芸術文化的概念によって解消される。中世からルネサンスへという音楽史的な時代配列は、その時代のいずれもがそれ自体「新たに」(ということは、互いに対立する内容を持った)音楽独自の内容と結びついている時にのみ使われうる[]と考えると、中世とルネサンスの間には独自の内容が存在し、中世とルネサンスの作品には明確な違いが見られると期待出来る。

 

 

ベルンハルト・モールバッハ著、井本晌二訳、『中世の音楽世界』、東京:法政大学出版局、2012年 []14項[]15項[]17項

 

疑問に感じていたことズバリ答えてくれた本に出会ったので書いてみました。

新しい季節

「神様」を脳内に召喚すれば、子供の頃イメージしたままの雲に乗った仙人のような姿が現れる。なので、私は神様を信じていない、というよりは神様の存在を自分の中に上手く呼び込むことができない。だけど、自分の姿を誰かが見ていて、その誰かがこれからの私の運命や境遇を司っている、という漠然とした、しかし大きな存在は信じている。私はそれを「星廻り」と呼んでいる。

 

最近の「星廻り」は私に次のステップへ進む道を示唆してくれている(気がする)。具体的にはわからないけど、「星廻り」との付き合いは割と長いので、ここは右を選ぶべきとか、今日はやめといたほうが良いな、とかは何となく察知している。

 

「広げたい」より「尖らしたい」という欲が湧いてきて、脳内の住人たちは今までになかった客人に驚いているが、彼を温かく迎えている。どこから来たのかははっきりわからないけど、今まで出会った誰かが呼び込んでくれた縁だろうな。

 

なんか大人しいね、と言われた。緊張しているんだ、と答えた。得意のオートマティスム・デ・タラメに答えただけだけど、なんだかしっくりきた。そうか私は、新しい季節に緊張しているんだ。