音楽学から世界をウォッチするブログ

音楽学を学んでいます。音楽に偏りまくった脳みそ、感性で前のめりに世界の勉強をします!マイブームは建築です!よろしくお願いします!

ヴィトゲンシュタイン『論理哲学論考』

 

以下、『論理哲学論考』を読解する私の脳内のプロセスは世界と対応関係にあるか、どうかの実験。

 

 

📝と🌏は対応関係にあるはずだ。📝は基本要素の🎯にまで分解でき、それと同様に🌏もまた、“⚙️”に分解できる。そのうえで、⚙️を正しく組み立てていけば、🌏のモデルを作ることができる。

まず、ヴィトゲンシュタインによると、🌏は☘️の総体であり、☘️はいくつかの🌬から成る。🌬がどのように成立するかに応じて、☘️が定まり、🌏が定まる。

ここでのポイントは、🌬は相互に独立しているということ、また🌬は「📌」が結びついて成立するということだ。📌とは、例えば「机」「パソコン」のことだが、ここには事物だけでなく、「白い」「冷たい」といった性質も含まれるという見方もある。性質が📌であるというのは初めはしっくりこないかもしれないが、確かにそう考えるのが整合的ではある。


ともあれ、🌏が正しく記述できるためには一体どんな条件が必要だろうか。1つは、🌏の🎼が確定できること。🌏の基本パーツが何であるか確定できなければ、それを写し取ることはできないからだ。そしてもう1つは、🌏の🎼と📝の🎼が同型であること。そうした同型性を、ヴィトゲンシュタインは「🍣」と呼ぶ。🍣は、🌏において📌同士が結びつく“幅”によって規定されている。例えば「花」は「美しい」とは結びつくことができるが、「円周率」と結びつくことはできない。📌にはそれ固有の🐼があり、🐼を共有するかぎりで、📌同士は結びつくことができる。この結びつきを📝によって写し取ったものを、ヴィトゲンシュタインは🇸🇪と呼ぶ。🇸🇪は♨️からなる。♨️は🌬を写し取るものである限り、審議の判定ができる。真であると判定された♨️は「⭐️」を持つという。

これは次のように考えてみるといい。例えば「花は美しい」という♨️は、花が美しいという🌬が成立している時、⭐︎をもつ。しかし「花は円周率だ」という♨️は、花と円周率という📌が結びつかず、🌬として成立しないので⭐︎を持たない。


最初にヴィトゲンシュタインは🌏を🎼にまで分解する。🌏は☘️からなる。☘️は🌬の集まりであり、🌬は📌のあつまりである。🌬と📌は🌏の🎼である。次に、🌏を写し取るための📝のあり方に着目する。📌と🍣を共有する「名辞」と要素🎯が📝の基本🎼である。この要素🎯を組み合わせることで、複合🎯が成立する。このようにして📝は🌏のモデルになると考えるのだ。

 

 

 

参考文献『読まずに死ねない哲学名著50冊』平原卓

グラナダの夕べ

長野から一年前に貰った手紙を読んでいましたら笑えてきました。

人が考えていることは幾つになっても分からないです。会っている時も、会っていない時も分からない。よくわからないことでいっぱいなのです。

 

ずっと変わらないものなら信用できますか。でもそんなの、歴史と伝統をやたらアピールする私立大学の電車の広告くらい、浅いですね。『創立〇〇年、〇〇大学』天晴れ。

 

永遠回帰

つらい。これを喜びに変えられない。つらい。ニーチェ様、ニーチェ様…

まるで

トンネルを抜けたみたい。

幼馴染と顎がずれるくらいに笑って、パッと世界が明るくなって、また私は私に戻れた。

 

どんなに変わりたいと思っていても、知らない自分を生きるのは怖い。結局は、これっぽっちの恐怖にも勝てないくらい、私は臆病だ。

 

そういえば、3.11のときに我が家のお雛様はペシャンコになってしまったので、将来お嫁に行けなかったときは、全ての責任をこのエピソードに擦りつけるつもりだ。

 

大きくて、温かい人。どうしてそんな風に生きれるんだろう。

 

私はというと、劣等感を抱くことで、「まだまだ到達できない世界があることを知っていますよ」とアピールしている。こんな中身のない劣等感なんて捨てて仕舞えば良いのに、なんとなく、小脇に抱えて「いやいや、こんなテンションですけどちゃんと考えいるんですよ、慎ましく。慎ましく。」というアピール。

 

「まどうてください。まどうてください。」

 

これは宮沢賢治の『ツェネズミ』という絵本の中のセリフだ。

 

「まどうてください。まどうてください。」

 

どういうシーンでのセリフなのかも、どういう意味のセリフなのかも、忘れた。

忘れた、というか、一度も理解したことがない。小さい頃から、今までの間、調べる時間も手段もたっぷりあったはずなのに、今もなお、理解したことがない。

 

そんなことばかりな気がする。

 

かけがえのない人への、聞きたいことや確かめたいことを、解決させないまま、ずっとずっとぶら下げて、ずっとずっと、なんとなくもやもやして、いつか別れて、いつか「懐かしい」になって、いつか忘れて、いつか思い出して、いつか思い出せなくなって、いつか老いて、いつか遠くなって、いつか死んで、いつか乾いて、いつか土になって、いつか地層になって、いつか、いつか

スパークの翌日

 

朝起きたら全てが違和感でした。

全てにおいて違和を感じる、というよりは

全てが違和感だったと言った方が、あの、世界に張り巡らされた「習慣」や「当たり前」からぶつ切りにされた感覚を、うまく、(ましてやこの世界のことばを使わざるを得ないこの状態なら、なお)表現できるように思います。

 

さらに洗面台の前に立つと、頭の3/4が削り取られていました。ぎょっとしました。髪が、ぺちゃんこだったのです。自分が頭だと思っていた場所は実は髪であって、頭など虚無でしかなく、自分は、なにを今まで、偉そうに思い上がっていたのでしょう。

さらに外を歩けば‪つきがふたつみえました‬。人間には『利き目』というものがある、という話を確か先週、聞いたばかりなので、利き目の仕業かなと思い、右目を手の平で覆って隠してみました。しかしつきはふたつありました。続いて、左目を手の平で覆って隠してみました。やっぱり、つきはふたつありました。


‪これは、世に新たなものを創ろうと決意した昨日が、自分と旧世界との間に境界を引いた故だとかんがえました。‬f:id:musicology0503:20180212064444j:image

夜が怖い

眩しさに満ち満ちた昼間だけが欲しい。

 

夜になってしまったら、

いつか潮とともに干上がって

しょっぱい水に埋めたはずのあの気持ちが

目視できるようになるから

 

砂浜に混ぜようとも混ざらない

鋭い貝の破片のようなあの気持ちが

皮膚の至る所にささるから

 

何も手につかない

 

夜が怖い

 

 

 

「ひ」の中は入り口から想像できないくらいに広かった。

 

ちょうど、夏の北海道みたいな小気味好い気候で。外の様子は分からなくなるけど、陽はうるさくないくらいに届く。何もかもがちょうど良い。

 

どうやってここから出るのかなんて知らないんだ。上まで登ったら、斜面になってるらしい。斜面が嫌なら、逆側を登ることだね。

 

でも此処はとっても豊かだし、まぁ、もう少し、のんびりしていてもいいんじゃないかなぁ。

 

ひんとをあげよう。この世界のひんとをーーー

 

 

 

ハッとまりもちゃんは目を覚ましました。

 

「なんだ…夢か…」

 

 

 

夜と朝のほつれ

夢と現実の結び目